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夏休みに、娘の新体操発表会の本番がありました。
新体操の発表会にパフォーマンスをするかどうかの葛藤と成長について、以前書きましたが
それからどうにか練習を重ねての、本番。
ギリギリやる気を出したものの、家で熱心に練習するわけでもなく、娘のやる気を測りかねる日々でした。
最後まで振り付けは抜けるところがあり
人が見に来れば恥ずかしくてやめてしまう。
そんな状態で本番を迎えました。
母の不安は半分以上(笑)
ところが、、、!
ところがです、、、、!
なんと我が娘、本番はノーミスで、堂々と演技。
最初と最後の挨拶も、堂々と!!!
「本番緊張して頭が真っ白になっちゃったら、ママの方見ればヒント出してあげるからね!」
「それか、もう決めた振り付けはいいから、好きなように堂々と踊っておいで」
なんて、失敗しちゃった時の焦りや悲しみを救済することをついつい心配していた母ですが、、、
私の手元を離れて、マットの上で小さい体をヒラヒラさせて懸命に演技する姿に、演技が完了する前から、涙、涙の母。
演技が終わったら、駆け寄っていってめちゃくちゃに撫で回したい気持ちでしたが、なかなか娘が来なくてもどかしかった!!(笑)
もう!もう!!!
ほんとうに、子どもってすごい!!!
4歳、5歳の小さい子どもでも、本当に色々なことを理解して、やる力があります。
「このぐらいしか出来ないんじゃないか」と制限をかけて可能性を低く見積もっているのは、むしろ親。
親が信じて多めに”与える”ことは、子どもの可能性を大きく伸ばすと改めて実感しました。
でも。
今ここで「与える」という言葉を使いましたが、
実はこの「与える」という行為、「親が子どもに具体的なやること・課題を与える」ことではありませんでした。
親が与えたものの一つとしてとても有効だったものの1つは「機会」
子どもは、子どもの世界で「今ここ」に生きている生物。笑
その中から新しい世界を広げる「機会」を見出すことは、なかなか出来ません。
子ども達より広い視野で見渡している親のほうが、「機会」を見出して、与えられる立場にありますよね^^
「機会」は無理めに、多めに与えていいと思います。
(ちなみに、子どもが自ら進んで「英語」に興味をもつことも多くはありません。
前に興味を示さなかった子どもも、別の機会では興味を持つかもしれません。
「折りに触れ」英語の機会を与えてみるのは大切ですよ^^)
では「機会」の他に親が与えるものは何だったのか?
次の2つと「与える」ことと「親の我慢」がセットになってますので、要注意の項目です!!
残りの2つの項目は、
「自由」と「裁量」
・やってもやらなくてもいい自由
・やりたければ自分で選んでやっていい裁量
これがあって初めて
「子どもが自分で可能性を無制限に切り開いていき、自分の中に実績と自信を積んでいく」
ことになります^^
娘も、演技が終わって一段落した時
「まーちゃん最初は何も出来ないって思ったけど、やってみたら出来た」
といって娘も泣いていました。
この娘の気持ちが、今回の一番大きな収穫だったと思います。
今回娘は
・自分で発表会に出ると決め
・自分で曲を選び
・自分で振付けをし
・自分で練習するしないを決め
・衣装の考案
を、しました。
新体操を始めて半年の5才児が、です。
それとセットに、親がぐぐっと我慢したこと。
・子どもが踊りやすそうな曲に勝手に変える
・「あの子はあんなに出来てるのに」と比べる
・振り付けがおかしいところを頼まれもしないのに修正する
・手先、足先が美しくないなど、細かい事を注意する
これをしたら、目先の結果は良くなった可能性もあります。
でもこれ、全て娘の「自由」「裁量」を著しく削ぐものであり、主体的なやる気も失われます。
最終的には、娘自身の達成感はもっとずっと小さくなっていたでしょう。
それを示すかのように娘は
「新体操の発表会はおねえさんになるまで全部出たい!!」
「今度は賞状もらった子みたいに名前呼ばれたい」
と、意欲満々!!
そうそう!
これこれ!
この、内側から「やるぞ〜〜〜〜!!!」ってむくむくと湧き出る意欲こそが、子どもの最強の原動力です。
今回私も、子ども自身が成し遂げた様子をまざまざと見て、
英語のレッスンでも、もっともっと子どもの可能性を信じて沢山の自由と裁量を与えて羽ばたかせていこう!!!
そんな思いを新たにしています!
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